"Imagine" Your Work!

Appendix:自分を赦すということ

hit10月11日に最終章の第十二話を書き終え、ようやく完結したと思っていた本ブログですが、その後、読者の方からいただいたご感想などを拝見していて、ひとつだけとても重要なキーワードについて触れていないことに気付きました。

そのキーワードとは、

「赦す」

ということです。

そこで、Appendix(付録)として、私がお伝えしたい最後のキーワード、「赦す」についてできるだけ簡潔に書いてみたいと思います。

 

○終わりのない旅を終わらせる

そもそも、この『ジョン・レノンのイマジンみたいに働く』でお伝えしてきたことはすべて、

自分自身の「ものの見方」や「世界の捉え方」を変えることによってさまざまな問題を解決する

という発想から生まれたものです。

通常、私たちは自分に不都合な出来事が起こったり、好ましくない言動をする相手に出くわしたりしたとき、「問題は自分の外にある」と考えます。たとえば、いま就いている仕事に満足していないなら、「この職場が自分に向いていない」、付き合っている相手とうまくいかなければ、「この人は自分にふさわしくない」と捉えます。

結果として、さまざまな問題を解決するため、あるいは自分が真にしあわせになるための方策として

自分の外側にあるさまざまなものを変えたい

と考えるようになります。

ところが、実際にやってみると、このやり方では多くの場合、望むような結果は得られないことがわかります。気に入らない上司がいるからといって職場を変えても、同じように自分を不機嫌にさせる上司が再登場します。

恋人や仕事をともにするメンバーも同様です。変えても変えても、最後には必ず「こんなはずじゃない」という地点に戻ってしまう経験を多くの人がすでに積んでいるのではないでしょうか。「問題が自分の外にある」と捉えた瞬間、私たちはまさに「終わりのない旅」に放り出されることになるのです。

本ブログではこのエンドレスの試行錯誤に終止符を打つために、

「自分の外にある他人や出来事の中に問題を解決する糸口はない。すべては自分自身の中にある」

という新たな立ち位置から「しあわせに働く方法」を模索してきました。たとえば、本編で書いてきた

「他人の言動やあらゆる出来事には意味がなく、それを決めているのは自分自身である」
「過去や未来は自分の頭の中で作り出している幻想である」

なども、すべて外ではなく、自分自身と向き合うことで世界の見え方を変えようとするものです。

他人の言動を自分が望むようにコントロールすることは不可能です。ましてや、起こってしまった出来事を変えることなど絶対にできません。ところが、自分自身の「ものの見方」や「世界の捉え方」を変えることは、その意志さえあれば、一瞬にしてできてしまいます。

同時に、「自分の手に負えない問題が消えてなくなる」という、いたって接しやすい世界が目の前に現れるようになるのです。

ただ、このやり方を実践する際に、ひとつだけ注意していただきたいポイントがあります。自分に向き合った結果、もし

「だれのせいでもない。わるいのは自分だ」

と考えたとしたら、すべてが台無しになってしまうという点です。

なにかの問題が起きたとき、これまでは他人の言動や出来事が原因、すなわち「わるいもの」とみなしてきました。これに対して「自分の中に解決の糸口を見つける」とは、自分をわるものにして反省することとはまったく違います。

また、本編の中ではほかにも「いまいる場所で本気を出す」や「自分自身の仕事を創造する」など、自分に厳しいと感じられる話をいくつも書いてきました。これらの事柄に共感していただいたにも関わらず、そのプロセスでうまくいかなかったときに、

「どうして私はこんなことができないんだろう。なんてダメなヤツなんだろう」

などと、自分に対して失望したり罪悪感をもったりする必要もまったくありません。

「自分に向き合ってものの見方や世界の捉え方を変える」ことの目的は、頭の中で創り上げた幻から抜けだし、「この世界をありのままに見る」ことでもあります。それはまるで、昼間なのに深夜のように感じる濃いサングラスを外し、これまで気付かなかった光を見るようなものです。

どんなに小さなものであれ、あらゆる罪悪感はこの「ありのままに見る目」を確実に曇らせます。このことは、私がこれまで書いてきたことの実践を妨げることになります。もし、「わるいのは自分だ」と思いそうになったときは、絶好のチャンスと捉えて

自分がいま抱いている罪悪感をすべて手放す

ことに挑戦してみてください。

慣れるまでは難しく感じるかもしれません。その一助となるように、もう少し詳しく罪悪感と「赦す」ことについて書いてみたいと思います。

 

○罪悪感が自分を弱くする

自分自身の「ものの見方」や「世界の捉え方」を変え、自分の中に解決の糸口を見つけるやり方は、ある種の強さを必要とします。強さにもさまざまな種類がありますが、ここで求められるのは鍛錬や訓練によって培うような強さではありません。ひと言でいうなら、

「自分を信じる強さ」

です。

第十二話で自信について次のように書きました。

「真の自信とは自分の存在そのもの、生まれながらに手にしている自分の価値を信じること」

ここでいう自信とは、「なにかを達成できたら」「スキルや経験を身につけられたら」「勝負に勝てたら」「失敗がなくなったら」などの条件付きで得るものではなく、いまこの瞬間に、そのままの自分に対してもてる自信です。

そして、この無条件の自信を得るために、唯一、必要なのが「自分自身に絶対の価値があるとゆるぎなく確信する強さ」です。

自分への罪悪感はこの「強さ」を攻撃し、蝕んでいきます。具体的には、

罪悪感をもてばもつほど、自分を信じる強さが失われていく

という反比例のような影響を私たちにもたらすのです。

罪悪感は私たちを弱くします。このことはふだん、あまり意識されることはないかもしれませんが、身近な例をイメージすればすぐにピンときます。

たとえば、ある相手に対して申し訳ないことをしてしまった状況を想像してみます。私たちは条件反射のように一瞬にして罪悪感を抱くはずです。「ああ、やってしまった。迷惑をかけてしまった。どうすればいいんだろう……」。さて、このときの自分はいつもの自分と比べてどんな印象がするでしょうか。おそらく、「弱い」あるいは「小さい」と感じるはずです。

実はこの「罪悪感をもっている人は弱い」という法則のようなものを、無意識のうちに巧みに利用するケースがよくあります。たとえば、部下を自分の思い通りに動かしたいと考える上司などがその代表です。

彼らはまず、自分の部署に入ってきた部下たちをとにかく叱りつけます。場合によっては、他のスタッフの目の前で罵声を浴びせ、あえて恥をかかせることもあります。そうすることによって、部下たちの心に「オレは、私は、まだまだダメなんだ」という劣等感とともに、罪悪感を植え付けるのです。

こうして、周りの人間を「弱い存在」だらけにしておけば、自分の思い通りに支配できるようになります。多くの場合、無意識のうちに行われるため、罪悪感をもたせようとする側も、もってしまう側もなにが起こっているのか気付いていませんが、その本質は

罪悪感を相手に渡す代わりに相手の強さを奪う

という取引が行われていることになります。

一見、人を思い通りに動かせることでうまくいきそうな手法に見えますが、実際に働く人たちは本来の強さを失っているため、結果としてチーム全体を弱体化させる下手な采配にほかなりません。

このような罪悪感の取引は職場だけでなく、教育の現場や家庭内でも起こり得ます。とくに、支配しようとする側の上司、教師、親、先輩などは「罪悪感をもてばもつほど、自分を信じる強さが失われていく」という法則を十分に理解するべきでしょう。

 

○罪悪感のないコミュニケーション

もうひとつ、日常でよくあるケースをイメージしてみます。まず、結婚相手、親友、仕事上のパートナーなど、だれでもいいので、自分がもっとも大切と思う人をひとり想像します。次に、その大切な人から自分の欠点や過去の思わしくない言動について指摘を受けている場面を思い浮かべます。

いま自分は大切な相手から、「いままで言えなかったが、あなたのそういうところに私は傷ついてきた」と告白されています。おそらく、先の例と同じように、真っ先に罪悪感で心がいっぱいになることでしょう。

では、その罪悪感を抱いた自分は相手にどんな言葉を返すでしょうか。できるだけリアルに想像してみます。私ならまず、「けっしてあなたを傷つけようとしてそれを言った(行った)わけではない」ことを必死に説明すると思います。

そもそも相手は自分にとって大切な人です。自分の不注意や思慮の足りなさがあったとしても、「これはなにかの間違いに違いない。なにを置いても誤解を解くことが先決」と考えることでしょう。

もっとぶっちゃけていえば、そのような誤解によって自分が抱くことになってしまった罪悪感を一秒でも早く手放したいというのが本音です。その結果、私は傷ついたと言っている大切な相手に対して、最初のボールとして自分を正当化する「言い訳」を投げてしまうはずです。

それを受け取った相手の気持ちは容易に想像できます。イライラはピークに達し、「この人になにを言っても伝わらない」と怒りと悲しみだけが心を埋め尽くすでしょう。だれもが経験しているよくある不幸な結末です。

では、もし相手から指摘を受けたときに、罪悪感をいっさいもたずにそれを聞けたとしたらなにが変わるのでしょうか。「そんなことがあり得るの?」と言いたくなるほど慣れないやり方だと思いますが、想像力をフルに働かせてイメージしてみてください。

「いままで言えなかったが、あなたのそういうところに私は傷ついてきた」と言われた私はかなりとまどいますが、先ほどとは違って罪悪感をもっていません。当然ですが、もっていない罪悪感を手放す必要はありません。つまり、私の中で「自分を正当化する」必要もなくなるわけです。

おそらく、私はずっとだまったまま、途中で話をさえぎることもなく、大切な相手の言い分を最後までじっくりと聞き届けることができるでしょう。相手がひととおり言いたいことをいい終えても、彼、彼女の心の底を真に知りたいと思うあまり、まだ黙っているかもしれません。

その間を察した相手はさらに言葉を続けることでしょう。そのあいだも私はずっと真剣に話を聞くことだけに集中します。「どうすれば機嫌を直してもらえるだろうか?」などの小手先だけの返答を頭の中で作り上げることもありません。

そうして、相手がすべての言葉を吐き出し終えたと感じたとき、私は理由はどうあれ、相手が傷ついたという事実だけを受け入れ、「それはほんとうに申し訳なかった」と静かに謝ることができると思います。

いつも行っている罪悪感をもったコミュニケーションと、あり得ないと思うかもしれませんが、罪悪感をもたないコミュニケーションとを比べてみて、どちらがお互いにとってしあわせな結果をもたらすかを想像してみてください。私は間違いなく、罪悪感のない会話のほうがハッピーだと確信しています。

いっさいの言い訳をせずに、相手の思いだけに向き合う。これこそが

「強さ」

です。そして、この強さは罪悪感がないからこそ得られるものなのです。

 

○罪悪感をもたずに修正する

この話をすると、多くの方は懐疑的な表情で次のような質問を投げかけてきます。

「でも、罪悪感をもたなければ、人は自分の間違いを正そうとしないんじゃないか?」
「罪悪感がなければ、人は簡単にわるいことをしてしまうんじゃないか?」

おそらく、この文章を読んでいただいている多くの方も同様の疑問をもたれたのではないでしょうか。私はこれらの質問に次のように答えています。

「まずは自分の罪悪感をすべて消し去ってみてください。そのとき、間違いを正さない自分が現れるか、わるいことをしたい自分が現れるか、ご自身で検証してみてください」

自分の間違いを正すことも、誘惑に負けずに悪の道に進まないと決めることも、同じように相当なパワーと勇気を必要とします。どちらもその実現には「強さ」が求められるのです。

ゴジラの最終形態と同様に、罪悪感をもっていない状態こそが、われわれ人間にとって最強のカタチです。そもそも、自分の間違いを正すのに反省したり罪悪感をもったりする必要はありません。ただただ、強い意志をもって

修正する!

と決意すればいいだけです。その強い意志もまた、罪悪感のない状態から生まれます。

これもまた私たちがよくやりがちな行動ですが、自分が他人に迷惑をかけたと思ったとき、「本当に反省している、ほんとうにわるいと痛感している」ことをアピールして、やってしまったことを精算しようとすることがあります。

このことは、罪悪感が自分の言動の免罪符としても使えることを意味しています。すなわち、「たしかにわるいことをしたけど、罪悪感をしっかりもって反省しているのだから許してくれよ」と、ある種の逃げ場として罪悪感を利用しているということです。

親か教師かは忘れましたが、私も子供のころから「罪悪感がなければ、人は簡単にわるいことをしてしまう」と教わってきたような気がします。でも、真実は真逆です。罪悪感がまったくない最強の状態にいるとき、人は他人を不幸にする必要を千パーセント感じることはありません。

おそらく、この文章を読んだだけで完全に腑に落ちることはないと思います。ぜひ、ご自身がなにかの問題にさらされて、相手から真摯な指摘を受ける機会を得たときに、実践で試してみてください。心がけることは次の二点です。

① なにを言われても絶対に罪悪感をもたないと決意する
② この問題に関して、自分がなにを修正すべきなのかをその場で真剣に考える

場合によっては相手にも修正を求める必要があるかもしれません。その際も、いっさいの罪悪感をもたずに強い心でそのことを伝えます。

このようなふだんはあり得ないコミュニケーションがどんな形で決着するかを、ぜひ、リアルに体験してみてください。

 

○自分と他人を赦す

もし、この話に共感できる点を少しでも感じられたら、今夜、ベッドで横になった際に次のことを実践してみてください。

「生まれてから今日までを振り返って、罪悪感を抱いている出来事をすべて思いだし、無条件にすべての罪悪感を手放す」

ある人に言ってしまったひどい言葉。人を泣かせてしまった事件。多くの方々に迷惑をかけてしまった自分の身勝手と思える行動。思うような結果が出せなかった自分のふがいなさ。片っ端から思い出して、

「もうこのことに関して罪悪感を抱くのはやめる」

と宣言します。理由は必要ありません。無条件にただただ手放していきます。

そもそも、それらのことについて罪悪感をもっていることなど自分以外のだれも知りません。であるならば、無条件に手放したからといって文句をいう人もいないということです。

そうして静かに眠りに就きます。朝、目が覚めたときに世界がどんな風に変わっているかをぜひ、ご自身で確かめてみてください。

もし、少しでも自分の中に変化を感じられたら、それ以降は、さまざまな出来事に遭遇するたびに、リアルタイムに罪悪感を手放すよう努力します。どんなに自分に落ち度があると感じる場面であっても、修正ポイントは真摯に探すようにしますが、絶対に罪悪感だけは抱かないように決意して臨みます。

これが

自分を赦す

ということです。

もしうまくいったら、そのときに自分の中に「強さ」があることを感じてみてください。機会があれば、「もしいま罪悪感をもっていたらどうだっただろう」とシミュレーションしてみるのもいいでしょう。おそらく、現在の自分と比べて驚くほどか弱くて小さな自分が想像できるはずです。

私たちは生きる年月に比例して失敗と思えるような経験を重ねていきます。そのたびに罪悪感という痛みや傷も背負ってきたはずです。気がついたら、その重圧に耐えきれないほど抱えてしまっていることもあります。

そのたびに、ひとつずつ私たちは弱くなってきたことを思い出してみてください。そのような生き方をすれば、歳をとればとるほど弱くなり、できないと思えることがどんどん増えていくのは必然です。

すでに書いたように、罪悪感を手放すこと、自分を赦すことで失うものはなにもありません。それどころか、真の自信をもつこと、すなわち「自分の存在そのもの、生まれながらに手にしている自分の価値を信じること」ができるようになります。

さらに、もし自分の罪悪感を手放して「強さ」を実感できたとしたら、自分以外の他人の「強さ」にも関心がもてるようになります。「相手に罪悪感を抱かせることはその人の強さを奪うことでもある」というとても重要な事実に気付くことができます。

また、これまでの私たちのコミュニケーションはある意味で「罪悪感のやりとり」だったといってもいいでしょう。そこで、一方の自分が罪悪感を手放してしまえば、相手も自然と罪悪感をもったり与えたりする必要がなくなってしまいます。

つまり、自分の罪悪感を手放すことは同時に、

自分以外の他人を赦す

ことでもあるという衝撃の事実が浮かび上がってくるのです。

いかがでしょう。もし、自分の罪悪感を手放すことにさらに罪悪感を感じるようなら、この事実に思いを馳せてみてください。「自分を赦すことで周りにいる多くの人が救われる」。そんな風に捉えてもいいでしょう。「それならやってみてもいいかな」と思っていただければ幸いです。

そうして実践しながら、自分や周りの人々がどう変わって見えるかを楽しみながら眺めてみてください。とくに、ここ一番の勝負時を迎えたときは、朝起きたときに自分に対して次の約束をすることをおすすめします。

「今日はなにがあっても自分を赦す!」

もし、一日をとおしてこの自分との約束を守り抜くことができたとしたら、これまで経験したことがないほど、最強のパワーと相次ぐ幸運を実感できると私は確信しています。

以上が本編でお伝えしていなかったとても重要な話です。全十二話で提案したさまざまな事柄のなかには一朝一夕には実現できないことも多いと思います。私自身、書いたことを実践できるようになるまでに54年も費やしています(笑)。正直にいえば、いまでも自分で書いていながらつい忘れてしまい、道に迷うことがあります。

どうか、うまくいかなくても「自分がわるい」などとはひとかけらも思わずに、ただただ、修正と訂正を繰り返してください。真の強さは自分を赦したところから始まります。そして、同じように他人を赦せばゆるすほど、自分の周りにしあわせが増えていきます。

すべての鍵は自分自身の中にある。そのことを忘れずに、ぜひ、人生を楽しんでください。私も楽しくやりたいと思います! ご愛読ありがとうございます!
(今度こそほんとうに「完」)

Photo by Satoshi Otsuka.